厚生年金基金の運用の失敗や積み立て不足を受けて、基金制度の廃止が俎上に上っている。
わたしは、厚生労働省の「ふり=pretender」だと思っている。
どうしてかというと、厚生年金基金は、厚生労働省にとって有力な天下り先だからである。
厚生労働省は、よくよくこの「解散」や「廃止」を臭わすのが常套で、以前は、「厚生年金」をいったん解散して、民営化を「先々の選択肢」の1つとして挙げていた。
もちろん、端からそんなことはする気はさらさらないが、そういう「姿勢」を見せるのが、厚生労働省なのである。
厚生年金基金制度は、廃止されるかもしれないが、運用している年金資産=お金が消えるわけではない。
似たような受け皿適な「制度」ができることだろう。
まあ、基金の運用している年金資産の一部を証券会社や保険会社、その他、厚生労働省が作ったような「民間運用会社」に委ねる、といったところだろう。
もちろん、先の基金の運用資産が割り当てられる「会社」に、天下りが行われるのはいうまでもない。
かっこよく言えば、「古いワインを新しい皮袋に入れる」のだ。
一番おいしいのは、運用益を得るよりも、運用をすることによって得られる「手数料収入」である。
「運用責任」とは、いったい何なのか、と不思議に思うのだけど、常に「鴨と葱」しか思い浮かばないのであった。
結局、運用というのは、運用者にとって「他人の金=at one’s money」である。
「運用」に失敗しても、自分の懐は傷つかないし、失敗しても、その運用した労働には、対価を支払わねばならない。
基金による年金の上乗せを歌って、掛け金を集め、失敗したりうまくいかなかったら、廃止や解散を言い出す。
運用責任は、通常、問われない。だれか鶴首された官僚はいた?政治家はいた?
悪質な事件だけ刑事事件扱いになるも、おそらくは、刑務所に詐欺事件程度の服役で済んでしまう。
つくづく、なんだろうなあ、と思う。