相場師列伝:ジェシー・リバモア

サマリー

相場師「ジェシー・リバモア」の人生を見るにつけて、相場に臨む「人」というのは、業が深いなぁと思います。当たり前のように「勝つ」ということは、当たり前のように「負ける」ということでもある。負けられない人は、勝ちもしないのだろう。精神力に脱帽。

ジェシー・リバモアとは?

1929年の世界大恐慌のさなかに、漫然と空売りをして一人勝ちを収めた希代の相場師。その相場観、成績の高さ、私生活の華々しさ、一転して悲劇的な家族関係と、はたから見るだけなら面白い人生を送った人です。当事者になるのは、いやですね。

ちなみに、リバモア自身はピストル自殺。女房はアルコール中毒。長男はドメスティックバイオレンス&アル中&母親に銃で打たれるなど、どうにもならん悲劇的人生を送る。次男はまっとうな人間に育ったようです。

・第一の感想-「男前」

まあ、下の写真を見てくだされ。

ジェシー・リバモア、映画俳優並みにかっこいいでしょ。で、次の写真が2番目の女房の肖像画。

これまた、きれいな人である。で、これが彼の住んでた家。

この3つの画像から見れば、リバモアはカネ・オンナ・大邸宅と順風満帆な人生のようなのだけど、それがそうではないと。以下、その振り子のような人生を簡単に紹介したいと思います。

・立志編

リバモアは1877年、マサーチュセッツ州に生まれる。父は農夫。石ころの混じった大地を耕すことが、リバモアの幼年期であった。

幼年期の頃から「数学的才能」にあふれ、14歳のときに家出。母親からもらった5ドルを握り締めて、ボストンへの馬車に滑り込む。

アタマの使いようによって富や名声は手に入る、頼りになるのは言葉ではなく行動である、弱冠14歳にして人生の哲学を持っていた。

・青年編

ボストンに着いたリバモアは、チョークボーイの仕事に就く。チョークボーイとは一刻一刻変化する株価を、黒板に記入していく仕事である。

日々の仕事の中で、彼の持ち前である数学的才能が開花していく。相場には一定の法則がありそれを押さえれば「勝てる」と。

当時のアメリカには、「パケットショップ」なる、今でいうノミ屋があった。そこで、リバモアの才能は開花する。「突貫小僧」と言われるほどになり、出入り禁止になる店が多発していく。

そして、パケットショップで培った自信と投資理論をひっさげ、リバモアは証券投資の本場、ニューヨークへ向かうのであった。

・20歳-ウォール街ですべてを失う

ウォール街での最初の成績はうまく行った。しかし、結局のところすべてを失ってしまう。リバモアは、自分の失敗を分析するという傷に塩を塗りこむ作業を行い、復帰を誓う。

リバモアの半生は、この失敗分析の連続といっても過言ではない。

業者に1000ドルを借りて、地方のパケットショップを嵐まくり、1899年、22歳になったリバモアは1万ドルの軍資金と7年の投資暦を携えてウォール街に帰ってきた。

1901年。ウォール街に強気相場が訪れる。そして彼は、またもやすべてを失った。相場は自分の予想どうりに動いた。しかし、注文が間に合わず売買のタイミングの同期がとれなかったからだった。

彼はニューヨークを離れボストンにもどる。そう、パケットショップで再起の軍資金を稼ぐためだった。

彼の前半生は成功と失敗の落差の激しい人生であったといえる。

昨日は5万ドル儲けたのに、今日は破産、という浮き沈みの激しい人生を歩みながらも、着実にそのトレードの能力は磨かれていった。

・30歳にて破産は3回。

31歳のとき、リバモアがアメリカを揺らがすほどまでに影響力を持つ経験を味わう。総額にして1000万ドル以上の利益を上げうる相場の位置を占めたのである。

このまま売りまくれば、途方もない金額を手にすることができる反面、それはアメリカの証券市場の崩壊を意味していた。

しかし、ここでリバモア自身が、自分のおかれた状況に驚く。

というのも、売りまくったろうと思っていたが、そんなことをしたらアメリカの証券市場が消えちゃうからやめてちょ、と金融界の重鎮に諭されたのであった。

日本銀行の総裁、またはトヨタの会長に「売るのやめてちょ」といわれるくらいのインパクトでしょうね。

それは、彼の投資法が数千回の取引と経験、成功と失敗を味わい、ようやく実践に値するものまでに磨かれたことを意味していた。

このあたりから、とうもろこしや綿といった商品市場を研究しはじめる。


Σ(゚Д゚;)商品市場?!


そう、読者のご想像とおり、商品市場でまたもやリバモアは破産した。
300万ドルを失い、100万ドルの負債をげっと。

1915年、自己破産の申し立てをおこなった。御年38歳。

・1917年、最愛の女性ドロシーと結婚

破産して2年を過ぎるころ、リバモアにはもう、数百万ドルの資産を有していた。

WWⅡの好景気を背景に、多くの損をだすことなく、着実に利益をあげていく。

・1929年、大恐慌。大幅な株安。

アメリカの株価の1/3が消滅した大恐慌が発生。それ以前に、株価は強気相場の真っ最中で、熱狂が熱狂を生み、PERもうなぎのぼりであった。

8倍だったPERが、30倍、40倍、50倍・・・。

このとき、リバモアは慎重に売りから入り、大幅な売りポジションを展開。大天井を打った株価が下落に下落を重ねだすと売りに売った。

━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━

たとえば300ドルの株が1日で200ドルになったのである。これは優良株の株価であり、普通の取るに足らない株であれば、1/5になっても買いが入らなかった。

そう、その差額がそっくりリバモアの利益だったのだ。

キ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ター

まさに忍耐と忍耐で勝ち取った勝利であるといえよう。

このときリバモアは52歳だった。

・頂点を極めたら

1931年、ドロシーと離婚。54歳。

1934年、破産。57歳。

1940年、11月28日。ピストル自殺。63歳でその生涯を終えた。

・まとめ

リバモアの半生の華々しさは『言語に絶』した。数万ドルの宝石、アンティーク家具、屋敷を女房に与え、息子の誕生日に自分の家にサーカスを開催するなど、その金の使い方は想像できないほど。

片田舎から5ドルを手にして世に出、自分の腕一本でのし上がっていく様は、これほど胸を打つものはなかった。

破産-成功を繰り返し、そして、「大恐慌」という歴史的な波を逃さず、巨万の富を作り上げたリバモア。

しかし、その人生の後半は暗く、陰鬱なことばかりで読むのが嫌になってくるほどだった。

つくずく思ったのは、人間というのは証券の相場に「慣れ」ることはない、ということ。

若いうちは不撓不屈の精神で、挫折から失敗から、復活を遂げることができる。しかし、それは「若いうち」だけだろう。

ビジネスでは何歳でも復帰の道はあるが、こと、この証券投資については復帰の道はないのかもしれない。リバモアの生涯を見ると、そんな風に思えてくる。

それほど、証券市場に接するもののストレスは絶大なものがあるのだろう。

また、勝つためには自分の心理のコントロールしないといけないのだが、それが多くのストレスを生み出し、その人を、その家族を蝕んでいくのだろうと。

リバモアという稀代の数学的センス、数字の能力を以ってしても攻略のできない市場。

個人的には、市場との付き合い方を変えた1冊であった。ま~おいらは数学的センスがないので、テクニカルは大やけどをしてやめちゃったけど。

相場の能力のあるひとほど、こういうふうになるのかなぁ。ちなみに、こういう友人がいます。顔も良く似てるんだよなぁ。

相場に強くて、女癖が悪いのも、リバモアと共通している。たぶん破産するだろう。

-参考文献-

「世紀の相場士 ジェシー・リバモア」(リチャード・スミッテン著 藤本 直=訳)

相場に臨むものであれば、読んでおいて損なし。いかに自分のルールを守ることの大切さがわかる。株式投資の初心者への贈り物に最適。

あんたはリバモアほどの努力・忍耐を払えるのかい?と。ある意味、証券投資における壮大な失敗学。

マンガ 伝説の相場師リバモア(小島利明 パンローリング)

漫画なので読みやすいのが特徴。さっさとわかる。