昔任天堂・今フェイスブック

任天堂の株を買ったら?と父に言ったことがある。ファミコンやディスクシステムが全盛期の時だ。

しかし、マイホームを買った直後だったのか、一笑に付された。

あの当時、任天堂の株を買っていたら、マイホームどころかマンションが建っていただろう。

株式投資に、「もしも」は本当に馬鹿げている話だけれども、「もしもあの当時のわたしにお金があったら、任天堂の株を買った」だろう。
わたしは「ファミコンをしながら育った」世代である。任天堂のファミコンに最も近かった世代で、熱中していた。

任天堂の商品の面白さと多様さは、競合他社に比べて圧倒的だったからだ。

これほど面白く、周りの友人知人が遊んでいる商品を供給している会社、それが任天堂で、任天堂にお金を使い続けている人が多数いるわけだから、利益が上がらぬはずがなかった。

しかし、父は「ゲームをしない」から、あれこれと新規参入社の状況挙げて、「任天堂だけを買うわけにはいかぬ」と言い放ったのだった。

ま、家庭用ゲーム機の歴史を知りたい人は、「家庭用 ハード 戦争 動画」や「ハード ゲーム機 大戦」で検索してみると、ヒマが潰れるだろう。

ところで、企業の商品なりサービスを、最もよく知っているのは、「それを最も使っている人」である。

実は、当該商品やサービスを作っている企業じゃない。「わからない」はずだ。

また、新聞や経済雑誌の記事に、商品とサービスの真実はない。

それらは後追いで、どう転んでもそう取れる“作文”でしか書かないから、投資の判断には役に立たない。

あるヒット商品が企業の再生を果たしたら、数年後にはその当該ヒット商品が「新規販売の機会」を奪ったと書かれるのである。

では、その商品に経営資源を投入して業績が傾くと、「ヒット商品の傾斜が会社を危うくした」などと書くのである。

わたしは、暇つぶしくらいにしか役に立たないのが、「それら」だと思う。

知ったつもりになるのが、「それら」だと思う。読まないほうが、間違えないだろう。

さて、先の「~をしながら育った子ども」に戻りたい。

かつての「わたしとファミコン」の対が、近い未来、いや、正確に言うと、今の子どもにとって、「フェイスブック」なんだろうな、と思う。

これからの子どもは、「フェイスブック」という社会資本がある社会で育ち、生きて行くわけである。

「フェイスブック」というSNSがなくなることは、考えられない。

致命的なセキュリティ事故や情報漏えいがあっても、フェイスブックは生き残るだろう。

なぜなら「他に代わりがない」からである。日本のSNSミクシィの利用者の減り具合を見れば、フェイスブック一極化が進んでいるのは目に見えている。

しかし、フェイスブックに投資するかどうかは、今後の利益次第だ。

「フェイスブックにはアクセスがあっても、お金が流れていない」のである。

利益次第で、フェイスブックは十分に「第2の任天堂」になるだろう。わたしにとっての、だが。かつての悔しさを晴らしたいもんである。

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