・序文

序文にて「証券分析」が何を述べていくかについて整理されています。テーマは4つ。「1、投機について」「2、債権と優先株の投資・普通株の投資」「3、投資銀行と一般投資家」「4、相場における人間の心理」です。

Section1−1927年〜33年
筆者は1927年から33年に起きた金融恐慌を、これまでと全く性質の違うものとしています。とてつもない暴落であったからです。

思うに、株式投資をしていて「小さな循環」には慣れています。上がったり下がったり、という波動のことです。

株式投資に当たっては、この巨大な変動をどう切り抜けるべきか、というテーゼをグレアムは提示していると思います。

わたしたちは、小さな変動には何とかできると思い、株式投資で利益を出すことを可能と考えますが、巨大な変化に遭遇しても、それはダイジョウブな方法であり銘柄なのかというわけです。

市場の現状に、「やりたい放題の投機」がまかり通っている、それは「投資」という名目の元に、とグレアムは述べています。いましめであると考えます。ケツの青いうちは、ひょっこり引っ掛かるのです。「投資」という言葉の罠に。

さて、巨大な変化の大波の前では、比較的安全といわれる債券でさえ大暴落し、債券保有者はどえらい目にあいました。「債券相場のつるべ落とし」とグレアムは比喩していますが、P21の債券市場のグラフを見れば、吐き気を催すことでしょう。

こうした市場環境にて、われわれの投資とはいかにすべきか、というテーゼを明確に打ち出しています。債券投資についての言及で、以下の文章が引っ掛かったので転記します。

「(教訓を債券投資に応用するとすれば、)ふたつの安全性を保証しなくてはいけない。

@業種、規模、経営陣の能力および知名度などにより裏付けられた、企業本来の本格的な安全性と安定性、A長期の好業績と既発証券を十分の償還できるほどの収益の安全余裕率−である」

以上は、債券投資についての言及ですが、バフェット流の株式投資のエッセンスとみても遜色はありません。恒久的に利益を上げ続ける、リターンを見出す秘訣はここにあると思いました。

初心者投資ホームに戻る


Section2−投資銀行のモラルの崩壊

1928年から1929年にいたって、投資銀行のモラルは崩壊した、とグレアムは述べます。

これまで名声のある投資銀行は、自分の利益と顧客の利益の双方を守るという、難しい課題を何とかこなしてきた。しかし、この年にいたり、リスクの大きい証券が、投資家に大量に売られるようになったのです。

モラル崩壊の原因は、この言葉に集約されていると思います。

「どんな証券でも売れる!」(売れた!)

これこそまさに、証券投資における熱狂の真理かと思います。どんな会社の株式でも、どんな高値であっても、売り買いされるのが証券市場。どんな粗悪な商品でも売れたのです、つまり買い手がいたのです。

そして、グレアムはこういいます。「。。。安全な投資対象となる証券が不足していた。。。」「。。。そして有利な投資対象を求める資金は記録的な水準に達していた。。。」と。

つまり、良品は少なく、悪品が氾濫、そして悪品であっても多くの投資家が争って「悪品」でさえ買っていたということです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

バブルの崩壊したとき、必ずスケープゴート(いけにえ)がつくられます。

よく目玉にされるのは、証券会社や銀行ですが、コレを読むといた仕方のないものだと思います。商売人として、売れるんなら売ります。そして、買い手となる投資家が争って「買いたい!買いたい!」というのですから、売るに決まっています。

ここで、自分の良心に従って粗悪品を売らない、という人はないことでしょう。粗悪品でも争って買う人がいるのです、ニコニコして。

バブルというのは、出来上がるべくして出来上がり、そして同じような結末を迎え、いけにえが捧げられ、祭りは収束するのだ、と思いました。できること、それは祭りに参加しないことです。盆踊りだけで十分。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

さて、「失った信頼の回復」から、凄くよい文章を転記したく思います。

「。。。しかし、これまでの経験によれば、投資銀行に対する一般投資家のこのような批判的な態度が、このままずっと続く事はないだろう。この次の上昇相場までに豊富な投資資金が集まれば、これまでもそうだったように、一般投資家は投資銀行が彼らに犯した罪を赦すかまたは忘れてしまうものだ。。。」

31年度に書かれた証券分析の文章がそっくりそのまま、21世紀の現在にでも当てはまっています。証券投資の変わらない真理がここに提示されています。

歴史は繰り返す。結局、みな忘れるのです。そして再度、熱狂は訪れるのです。次はうまくやればよい、それだけの話なのですな。バブルは必ずくると確信したものです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

グレアムは、投資原則の確かな知識が、一般投資家にとってもこれまで以上に求められている、と述べています。

なぜか?

「(企業が、)事実を公表する義務さえ守れば、あとはすべて投資家の責任である」からです。

グレアムの言の背景には、証券法が制定されたことがあります。新規証券には、情報の提供が義務付けられ、虚偽の記述が罰せられるようになりました。そしてこの情報開示にて重要なのは、「ありのままの事実」さえ提供すればよい、ということ。

「事実であればよい」ということです。その会社が殆ど利益を上げず、単にばら色の将来しかないときであっても、現時点での事実さえ述べておけばよいということ。どんなクソ企業でも。いわば、言ったモン勝ち。

情報公開があれば、情報にかこつけてわけのワカラナイ企業が雨後タケノコのようにでてくるのです。いい得て妙だなあと思いました。

「多くの投機的な株式が発行されているという事実をよく見てもわかる」

グレアムはこういって、節を〆ています。

初心者投資ホームに戻る


Section3− 人間の心理

この言葉は、憶えておくべきでしょう。

「。。。よい株(優良株)は、いくら高値をつけても安全な投資対象である。。。」

まったくその通りの文言を、わたしたちはいつの日か、再度目にする事があるでしょう。まずこのような、神話が作り上げられ人はそれに従うのでしょう。グレアムも述べていますが、じぶんでは安全だと思っているのです。「投資の名のもとに」とグレアムは、警句を鳴らしています。

さて、株式投資をやり始めた人が必ずいうのは、「株価がわからない」ということです。それもそのはずです。

まず考えて欲しいのは、人の心がわかるか、ということです。わからないのなら、株価もわからないのです。

「ある証券の価格は、その本来的な価値に対する直接的な反応やその価格と価値の関係をそのまま反映したものではなく、売り手と買い手のさまざまな感情や心理を映したもの」とグレアムは述べています。

織り込み済みやらなんやらというのは、なにか具体的な根拠はあるにせよ、とどのつまり、感情と心理へのひとつの解釈論でしかないのです。

であるからこそ、解釈が解釈を呼び、高値・下がらない・安心安全という神話が創作されるのです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

序文の最後に、投機について言及しています。

「他の人が損しているのに、自分だけ利益を手にすると考えるのは、どう見ても現実的ではない」とグレアムが述べるように、いたって常識的に考えれば、投機というのがいかに脆いものであるかわかります。

宝くじを買って、自分だけは当たるんだと思い込んでいる人、それは滑稽なことでしょう。しかし、株式投資一般では、同様の状況に自分がある事に気づいていない人が多いと見受けられます。

知っててやるのなら、いいのですが^^;

そして、『投機に関する訓練がどれほど賢明に行われようとも、一般投資家にはあまり利益をもたらさないだろう』という記述にも納得です。いったい、1932年からいくつの投資分析法が生まれたのか、考えてみればぞっとします。一番確実に儲かるのは、手数料です。

さて投資ですが、投資だから儲かるというものではなく、慎重な投資は、投機の誘惑から自分を守ると控えめに投資について言及しています。

投資だからよい、のではありません。投資は神話となってわたしたちの目の前にあらわれることを、シッカリ肝に銘じないと、と思ったわたしでした。

初心者投資ホームに戻る